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不思議コラム    〜東三河エネルギー研鑽会の日常 番外編〜

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(42)遠隔ヒーリングについてのお話し

 

 

美術のデッサン用にポーズを作るための人形があります。画材屋さんで売っている木製の人形で、大きさも何種類かあります。関節がフレキシブルに動くので、色々なポーズがとれて(シェ〜もできます)、何かと便利なため、レイキやエネルギーの使い方を説明する時に、チャクラの位置だとか、遠隔ヒーリングのイメージの説明用に使ったりしております。

 

ある日、エネルギーの話などを人に説明して、そのまま何気に棚にポンと置いておいたデク人形ですが、よく見てみたら、こんなポーズになっていました。

 

中型のデク人形が小型のデク人形に手をかざしてヒーリングをしているじゃん・・・

 

 

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!?ってことは「人形同士で遠隔を設定するものアリだよね?こりゃ楽でいいかも・・・」とはなんとも横着者な発想ですが。

 

人形(ひとがた)を使った遠隔で思いつくのが、安部清明の式神、呪詛人形、神社でお祓いの時に使う人型に切った紙の人形とかワラ人形でしょうか・・・(^_^;)

 

「ワラ人形=怨念成就」という感じで、メチャ怖い呪術法として伝わっていますよね。確かに、怨念で相手をおとしめるということなので、ムチャクチャ恐怖なのですが、冷静に考えてみると、これも遠隔で相手に気を伝えている行為で、遠隔の手法の一種といえばそうなんですよね〜(*_*;

 

怨念が成就するというくらい威力のあるワラ人形ですが、鉄輪(かなわ)を頭にかぶり、ろうそくを立て、ワラ人形を打ちつけて呪をかけている場面は絶対に人に見られてはいけないのです。見られてしまったらその呪力が自分に返ってくるとのことなので、やる側にも相当な覚悟が必要なようです http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/16.gif

 

 

うしのこく

 

 

また、生霊も遠隔で相手にエネルギーを送っている行為の一つといえそうですね。これも送っているエネルギーが怨念、恨みつらみといったよろしくないエネルギーですね http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/190.gif

 

源氏物語には、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が、源氏に対する狂おしいくらいの愛情から、生霊となって、夕顔と葵上を殺してしまったという話がありますね。愛というエネルギーが曲霊(まがつひ)の形になってしまったというのは、なんとも残念なことです http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/441.gif

 

上田秋成の「雨月物語」をご存知でしょうか。1776年(安永五年)に出版された日本を代表する怪異小説集です。溝口健二監督によって映画化されたり、ドラマの話のモチーフに使われたり、また海外でも翻訳されるなどして、現在でも読み継がれているものです。20096月は作者の上田秋成没200年だったそうです。

 

 

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この雨月物語の中に「菊花の約(きっかのちぎり)」というお話があります。このお話を読んでみると、昨今スピリチュアルヒーリングでよく用いられる遠隔ヒーリング(遠隔でエネルギーを送ること)の本質が問われている(見え隠れしている)ように感じました。

 

「菊花の約」のあらすじは・・・、

 

播磨の国の儒学者、丈部左門(はせべさもん)は、清貧な生活を受け入れ、志高く、人道を守り暮らしていた。ある日、左門が同じ里のある人の元を訪れ、古今の物語などをしていると、壁を隔てた向こうから、何やら悲痛なうめき声が聞こえてきた。

 

家の主人に尋ねると「お武家風の方に一夜の宿をお貸ししたのだが、その夜からひどい熱が出て、他の者に伝染しないかと困っている・・・」とのことだった。

 

左門は、この病人を気の毒に思い、止める主人の言葉も聞かずに、その病人を手厚く看病した。親身になって毎日看病したお蔭で、病はだんだんとよくなってきた。

 

武士の名前は、赤穴(あかな)といい、全く面識もない自分を看病してくれたことに感謝し、そして、二人はお互いに学問や兵法を論じ合い、親交を深めていった。ついには兄弟の契りをするほどになった。

 

しかし、しばらくすると、病の癒えた赤穴は、本来の目的を達成するために出雲の国に帰らなければならないことを告げるが、重陽(旧暦99日の菊の節句)に必ずや再会せんことを固く約束し、赤穴は出雲へと戻って行った。

 

そして、月日は流れ、やがて約束の日となる。左門は菊の花を生けたり、もてなしの準備をして、赤穴を待ったが、帰ってこず、夜になってしまった。一人外に出て夜空を見上げていると、暗闇の中に人影が見えた。もしやと思い見てみると、紛れもなく我が兄弟の赤穴であった。

 

左門は大変喜んだのだが、赤穴は「出雲に帰ったところ、仕官を勧められ、それを断ったら監禁されてしまった。どうやっても脱け出せない状況で、あなたとの約束が果たせそうになかった。でも、どうしてもあなたとの約束を守りたくて、今朝、自ら命を絶ち、魂となってあなたに会いに来た・・・。人は一日に千里を行くことは出来ないが、魂ならば千里をも行ける・・・」と告げた。これを聞いた左門は、愕然となり、悲しんだ・・・。

 

その後のお話もありますが、肝心な話はこんな感じです。

 

遠隔の度に切腹しろとは言いませんが(^_^;)、遠隔ヒーリングを成功させるためには、相手の心、気持ちやその状態とどれだけ気が通じ合うか、相手が目の前にいて触れているかの如く、我が身の如く感応することができるかがポイントではないかと思うのです。

 

なので、昨今よく耳にする、コールインなんたらとか言われる、遠隔を受ける人の都合のいい時間でエネルギーを受信できるという遠隔の手法や、一斉遠隔ヒーリングとかが盛んのようですが、この手法からは、どれほど相手のことをくみ取りながら遠隔ヒーリングができているのかは、疑問に思えてきます。

 

一斉ヒーリングも、ヒーリングをやる方が超強大なモノリス的な能力の持ち主だったらあり得るかな?とも思いますが、そんな凄い人ってそうそういるもんじゃないと思うべ。

 

確かに、時間と空間を超えることができるのがエネルギーですから、時間設定を使って相手に遠隔することも可能だと思いますが、それが相手のことを真摯に思うような、心のこもった遠隔ヒーリングになっているのかと考えてみたら、そうではないように思うのです。せめて、相手が遠隔を受けている時間は、リアルタイムで自分もそのフィールドにいることは必要ではないかと思います。

 

と、同時に、実際に人と対面してヒーリングなり、施術なり、エネルギーワークなりをやって経験してみる、身体を使ってやってみるといったことを、何度も繰り返し体験していないとダメじゃないんでしょうかねえ。頭だけの妄想ワークばかりでは他の部分のことが何も分からないんじゃないかと思いますよ。頭、心、身体はバランスよく使わなくては。

 

野口晴哉も愉気という手当療法を行ったり、教えていましたが、愉気も距離には関係なく、遠隔でも出来ると教えていましたが、おそらく、当時は愉気は単純に手を当ててやる療法だと思っていた人も多かったと思います。

 

遠隔を当たり前のように受け入れている現代とは違って、当時の人には、離れた人にも愉気ができるという話は驚きだったと思います。実際に、遠隔愉気を練習する場でも、気が感じないといって、相手の身体の傍へとどんどん近寄って行ってしまう人がいたとか。

 

野口晴哉曰く、気持ちさえ、気さえ通れば、千里離れていても愉気はできる。気が通れば距離は関係なく感応する。でも、気が通らなければ、気持ちが通らなければ目の前の人にも愉気は出来ない。

 

遠隔では、信頼関係が大事だということも聞きますが、野口晴哉がいう、気が通って相手と感応するということは、信頼関係の先、信頼という言葉すらも超えた何かに感応することではないかと思えてきます。

 

意識の下にある潜在意識や無意識、集合意識と呼ばれるものと、いかに通じ合えるかということかな?と。

 

また、「行き場をなくしたエネルギーは、自分に返ってくることがある」と教えているエネルギー瞑想があります。相手が何らかの理由で、送ったエネルギーを受け取ってくれなかった場合に、そのエネルギーが自分の元に戻ってきて、それが自分に何らかの影響を与えてしまうことがある。場合によっては体調を崩したり、感情的に不安定になったりすることもある・・・、そんな風に教えていますが、ちょっと考えてみると、相手との信頼関係、そして気が通じ合うということができていれば、こんなことにはならないのはでと思います。

 

さて、小うるさいことを述べましたが、これから深まりゆく秋の夜長、本当に大切な人、信頼しあえる人に遠隔ヒーリングをしてみませう http://blog-imgs-1.fc2.com/emoji/2008-06-20/268993.gif

 

 

東三河エネルギー研鑽会の日常 20101022日ブログ記事より>

 

 

 

 

 

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